鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実 2 [無断転載禁止]©2ch.net

1名無しを整える。2017/04/11(火) 11:48:39.27ID:kMYDXZN5
大好評なので、続スレッドを建てたのじゃ
みな、儂のことが好きなのじゃ
よって、みな、儂の弟子じゃ
儂は、悟りを開いて、もうこれ以上、悟ることはないのが、みなは、そうではないじゃろ
儂のように悟りたければ、儂の言うことを聞くのじゃ

766名無しを整える。2017/09/04(月) 13:48:57.19ID:CbslEjDb
毎月のお支払い、生活費、携帯代でお困りの時はご相談下さい。お金の悩み、相談はエス ティー エーで

詳しくはHPをご覧下さい。

767名無しを整える。2017/09/04(月) 18:59:52.98ID:6qHmGG/O
真理のことば(ダンマパダ)
第二四章 愛 執

347 愛欲になずんでいる人々は、激流に押し流される、──蜘蛛がみずから作った網にしたがって行くようなものである。思慮ある人々はこれをも断ち切って、顧みることなく、すべての苦悩をすてて、歩んで行く。

348 前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。

349 あれこれ考えて心が乱れ、愛欲がはげしくうずくのに、愛欲を淨らかだと見なす人には、愛執がますます増大する。この人は実に束縛の絆を堅固たらしめる。

350 あれこれの考えをしずめるのを楽しみ、つねに心にかけて、(身体などを)不浄(キヨカラヌモノ)であると観じて修する人は、実に悪魔の束縛の絆をとりのぞき、断ち切るであろう。

351 さとりの究極に達し、恐れること無く、無欲で、わずらいの無い人は、生存の矢を断ち切った。これが最後の身体である。

352 愛欲を離れ、執著なく、諸の語義に通じ諸の文章とその脈絡を知るならば、その人は最後の身体をたもつものであり、「大いなる知慧ある人」と呼ばれる。

(´・(ェ)・`)つ
352は、教典の語義を熟知して、正しく理解せよと言う意味だそうであります。

正しく理解するのは、簡単ではないようでありますね。

768鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/04(月) 20:37:18.33ID:jNRqh9ke
そうじゃ、本当に正しく知るのは悟った後なのじゃ。
それでもどんどん学ぶべきなのじゃ。
学び続ければ気付くことも多くなるのじゃ。

769名無しを整える。2017/09/05(火) 18:27:42.95ID:RowricK9
真理のことば(ダンマパダ)
第二四章 愛 執

353 われはすべてに打ち勝ち、すべてを知り、あらゆることがらに関して汚されていない。すべてを捨てて、愛欲は尽きたので、こころは解脱している。みずからさとったのであって、誰を[師と]呼ぼうか。

354 教えを説いて与えることはすべての贈与にまさり、教えの妙味はすべての味にまさり、教えを受ける楽しみはすべての楽しみにまさる。妄執をほろぼすことはすべての苦しみうち勝つ。

355 彼岸にわたることを求める人々は享楽に害われることがない。愚人は享楽のために害われるが、享楽を妄執するがゆえに、愚者は他人を害うように自分も害う。

356 田畑は雑草によって害われ、この世は人々は愛欲によって害われる。それ故に愛欲を離れた人々に供養して与えるならば、大いなる果報を受ける。

357 田畑は雑草によって害われ、この世は人々は怒りによって害われる。これ故に怒りを離れた人々に供養して与えるならば、大いなる果報を受ける。

358 田畑は雑草によって害われ、この世は人々は迷妄によって害われる。それ故に迷妄を離れた人々に供養して与えるならば、大いなる果報を受ける。

359 田畑は雑草によって害われ、この世は人々は欲求によって害われる。それ故に欲求を離れた人々に供養して与えるならば、大いなる果報を受ける。

(´・(ェ)・`)つ

770鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/05(火) 21:49:39.54ID:WLPcEp/d
そうじゃ、執着から諸々の苦は起こるのじゃ。
それは人が苦しまないようにしようとか思っても出来ないものじゃ。
観察によってのみ執着は消え、苦は厭離されるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。

771名無しを整える。2017/09/06(水) 18:25:39.33ID:Mzx9X8jY
真理のことば(ダンマパダ)
第二五章 修行僧

360 眼について慎しむのは善い。耳について慎しむは善い。鼻について慎しむのは善い。舌について慎しむのは善い。

361 身について慎むのは善い。ことばについて慎しむのは善い。心について慎しむのは善い。あらゆることについて慎しむのは善いことである。修行僧はあらゆることがらについて慎しみ、すべての苦しみから脱れる。

362 手をつつしみ、足をつつしみ、ことばをつつしみ、最高につつしみ、内心に楽しみ、心を安定統一し、ひとりで居て、満足している、──その人を<修行僧>と呼ぶ。

363 口をつつしみ、思慮して語り、心が浮わつくことなく、事がらと真理とを明らかにする修行僧──かれの説くところはやさしく甘美である。

364 真理を喜び、真理を楽しみ、真理をよく知り分けて、真理にしたがっている修行僧は、正しいことわりから堕落することがない。

365 (托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。他人の得たものを羨むな。他人を羨む修行僧は心の安定を得ることができない。

366 たとい得たものは少なくても、修行僧が自分の得たものを軽んずることが無いならば、怠ることなく清く生きるその人を、神々も称讃する。

367 名称とかたちについて「わがもの」という想いが全く存在しないで、何ものも無いからとて憂えることの無い人、──かれこそ<修行僧>とよばれる。

368 仏の教えを喜び、慈しみに住する修行僧は、動く形成作用の静まった、安楽な、静けさの境地に到達するであろう。

(´・(ェ)・`)つ

772鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/06(水) 21:27:57.90ID:O85eMbWG
そうじゃ、身口意を慎み、真理に従うのじゃ。
名前と形象を離れて安らぐのじゃ。
そして悟りの境地に赴くのじゃ。 
実践あるのみなのじゃ。

773名無しを整える。2017/09/07(木) 18:50:56.86ID:mFvaNZif
真理のことば(ダンマパダ)
第二五章 修行僧

369 修行僧よ。この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。貪りと怒りとを断ったならば、汝はニルヴァーナにおもむくであろう。

370 五つ(の束縛)を断て。五つ(の束縛)を捨てよ。さらに五つ(のはたらき)を修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、<激流を渡った者>とよばれる。

371 修行僧よ。瞑想せよ。なおざりになるな。汝の心を欲情の対象に向けるな。なおざりのゆえに鉄丸を呑むな。(灼熱した鉄丸で)焼かれるときに、「これは苦しい!」といって泣き叫ぶな。

372 明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな知慧が無い。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。

373 修行僧が人のいない空家に入って心を静め真理を正しく観ずるならば、人間を超えた楽しみがおこる。

374 個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを正しく理解するに従って、その不死のことわりを知り得た人々にとって喜びと悦楽なるものを、かれは体得する。

375 これは、この世において明らかな知慧のある修行僧の初めのつとめである。──感官に気をくばり、満足し、戒律をつつしみ行ない、怠らないで、淨らかに生きる善い友とつき合え。

(´・(ェ)・`)つ
370の 四種類の「五つ」について。

1) 「五つを断て」の五つ=「五下分結」
1.有身見 2.疑 3.戒禁取 4.欲愛 5.激怒

2) 「五つを捨てよ」の五つ=「五上分結」
6.色貪 7.無色貪 8.慢 9.掉挙 10.無明

3) 「五つを修めよ」の五つ=「五根」
1.信根 2.精進根 3.念根 4.定根 5.慧根

4) 「五つを超えた」五つはは
1.貪 2.瞋 3.痴 4.慢 5.見 です。

だ、そうであります。
専門用語は慣れるしかないでありますね。

774名無しを整える。2017/09/07(木) 21:09:38.60ID:mFvaNZif
「初めの5つの束縛」
1.「有身見(うしんけん)」=自分自身に執着する考え方。
2.「疑惑(ぎわく)」=原因と結果の法則に、疑いをもつこと。
3.「戒禁取(かいごんじゅ)」=ブッダの「教え・法」とは異なる異教者の教えを守ること。
4.「欲貪(よくとん)」=貪る欲。
5.「瞋恚(しんに)」=怒り。

4つの道
1. 預流道(よるどう)― 聖者の流れに入った人。
2. 一来道(いちらいどう)― 聖者流れに入っているけれど、一度だけ世俗の世界に戻ることがある。
3. 不還道(ふげんどう)― もう二度と世俗の世界には戻ることがない。
4.阿羅漢道(あらかんどう)―貪り、怒り、気づきのない愚かさが完全に滅した聖者。

「さらに上の5つの束縛」
1.「色貪(しきとん)」=色・形あるもの、身体に執着すること。
2.「無色貪(むしきとん)」=心に執着すること。
3.「慢(まん)」=慢心。
4.「浮つき」=後悔(こうかい)、興奮(こうふん)、動揺(どうよう)、感情(かんじょう)の高ぶり。
5.「無明(むみょう)」= 誤った見方、考え方によって、無常なものを、永遠と取り違えてしまうこと。

この「さらに上の5つの束縛」を捨断するために、煩悩の静まり、寂静のため「正しい覚り」にいたるために

五根―「信根」「勤根」「念根」「定根」「慧根」を練修修行する。
1.「信根(しんこん)」=「信」ブッダの道、中道、智慧に向かう正見です。教えを深く理解すること。原因と結果の法則を信じます。
2.「勤根(ごんこん)」=精勤(しょうごん)・勤勉・精進努力です。
3.「念根(ねんこん)」= 今の心に集中すること。正しく注意します。正しく専念します。
4.「定根(じょうこん)」=禅定:止― 静かに坐ります。息・呼吸に集中します。観― よく観て深く観透します。
5.「慧根」=、智慧。智慧そのものです。

貪(むさぼ)り・瞋(いか)り
痴(ち・気づきのない愚かさ)・
慢心・邪見
これら「5つの執着」を超えます。

「5つの執着」を超えたならば、
「4つの煩悩=暴流(ぼる)」、
欲・有(生存)・邪見・無明
これらの「暴流を渡った人」と言われます。
「4つの煩悩=暴流(ぼる)」:
1.「欲」とは、
  好ましい色・形あるもの、
  声(音)、香り、味、触れるもの、
  これら5種に対する欲望「5種妙欲」です。
2.「有(生存)」とは、
  身体と心に対する貪欲です。
  また、魂は永遠不滅と考える欲です。
3.「邪見」とは、
  原因と結果の法則によらない、
  異教者の62ある見解です。
4.「無明」とは、
  誤った見方、考え方によって、
  無常なものを、
  永遠と取り違えてしまうことです。
足に結ばれた紐(ひも)を、
刀で断ち切るように、
束縛、執着を断・捨・離します。

解説をネットから拾ってみたであります。
(´・(ェ)・`)つ

775名無しを整える。2017/09/08(金) 18:15:34.82ID:2/uUCRNO
真理のことば(ダンマパダ)
第二五章 修行僧

376 その行ないが親切であれ。(何ものでも)わかち合え。善いことを実行せよ。そうすれば、喜びにみち、苦悩を減するであろう。

377 修行僧らよ。ジャスミンの花が萎れた花びらを捨て落とすように、貪りと怒りとを捨て去れよ。

378 修行僧は、身も静か、語(コトバ)も静か、心も静かで、よく精神統一をなし、世俗の享楽物を吐きすてたならば、<やすらぎに帰した人>と呼ばれる。

379 みずから自分を励ませ。みずから自分を反省せよ。修行僧よ。自己を護り、正しい念いをたもてば、汝は安楽に住するであろう。

380 実に自己は自分の主(アルジ)である。自己は自分の帰趨(ヨルベ)である。故に自分をととのえよ。──商人が良い馬を調教するように。

381 喜びにみちて仏の教えを喜ぶ修行僧は、動く形成作用の静まった、幸いな、やすらぎの境地に達するであろう。

382 たとい年の若い修行僧でも、仏の道にいそしむならば、雲を離れた月のように、この世を照らす。

(´・(ェ)・`)つ

776鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/08(金) 22:03:59.64ID:gIwABUwz
ご苦労さんなのじゃ。
そのように段階ごとに次々に完璧に心が整えられるわけではないがのう。
無明とは自分があるという観念なのじゃ。
全てと離れた個我としての自分という観念がある限り苦は生まれ続けるのじゃ。
それを厭離するために修業もあるのじゃ。 

777名無しを整える。2017/09/09(土) 05:23:55.08ID:oeypra87
>>776
鬼和尚、おはようであります(´・(ェ)・`)つ
緻密に分析されるのはよいのでありますが、何が大切で、何処が要点なのかわけわからなくなってしまうでありますね。
要点は、
>全てと離れた個我としての自分という観念
を厭離するために修業するのだ!と言うことでありますね。

全て=ブラフマンでありますね。
バラモンの語源もブラフマンでありますね。

778名無しを整える。2017/09/09(土) 05:38:27.61ID:oeypra87
真理のことば(ダンマパダ)
第二六章 バラモン

383 バラモンよ。流れを断って。勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知る者であれ。

384 バラモンが二つのことがら(=止と観)について彼岸に達した(=完全になった)ならば、かれはよく知る人であるので、かれの束縛はすべて消え失せるであろう。

385 彼岸(カナタノキシ)もなく、此岸(コナタノキシ)もなく、彼岸・此岸なるものもなく、恐れもなく、束縛もない人、──かれをわれはバラモンと呼ぶ。

386 静かに思い、塵垢(チリケガレ)なく、おちついて、為すべきことをなしとげ、煩悩を去り、最高の目的を達した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

387 太陽は昼にかがやき、月は夜に照し。武士は鎧を着てかがやき、バラモンは瞑想に専念してかがやく。しかしブッダはつねに威力もて昼夜に輝く。

388 悪を取り除いたので<バラモン>(婆羅門)と呼ばれ、行ないが静かにやまっているので<道の人>(沙門)と呼ばれる。おのれの汚れを除いたので、そのゆえに<出家者>と呼ばれる。

389 バラモンを打つな。バラモンはかれ(=打つ人)にたいして怒りを放つな。バラモンを打つものには禍がある。しかし(打たれて)怒る者にはさらに禍がある。

390 愛好するものから心を遠ざけるならば、このことはバラモンにとって少なからずすぐれたことである。害する意(オモイ)がやむにつれて、苦悩が静まる。

391 身にも、ことばにも、心にも、悪い事を為さず、三つのところについてつつしんでいる人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

392 正しく覚った人(=ブッダ)の説かれた教えを、はっきりといかなる人から学び得たのであろうとも、その人を恭しく敬礼せよ、──バラモンが祭の火を恭しく尊ぶように。

393 螺髪を結んでいるからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真理と理法とをまもる人は、安楽である。かれこそ(真の)バラモンなのである。

394 愚者よ。螺髪を結うて何になるのだ。かもしかの皮をまとって何になるのだ。汝は内に密林(=汚れ)を蔵して、外側だけを飾る。

395 糞掃衣をまとい、痩せて、血管があらわれ、ひとり林の中にあって瞑想する人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

(´・(ェ)・`)つ

779名無しを整える。2017/09/09(土) 17:38:06.24ID:oeypra87
真理のことば(ダンマパダ)
第二六章 バラモン

396 われは、(バラモン女の)胎から生れ(バラモンの)母から生れた人をバラモンと呼ぶのではない。かれは「<きみよ>といって呼びかける者」といわれる。かれは何か所有物の思いにとらわれている。無一物であって執著のな人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

397 すべての束縛を断ち切り、恐れることなく、執著を超越して、とらわれることの無い人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

398 紐と革帯と網とを、手網ともども断ち切り、門をとざす閂(カンヌキ)を滅ぼして、めざめた人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

399 罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

400 怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人、──かれをわれは<バラモン>とよぶ。

401 蓮葉の上の露のように、錐の尖の芥子のように、緒の欲情に汚されない人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

402 すでにこの世において自分の苦しみの滅びたことを知り、重荷をおろし、とらわれの無い人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

403 明らかな知慧が深くて、聡明で、種々の道に通達し、最後の目的を達した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

404 在家者・出家者のいずれとも交らず、住家がなくて遍歴し、欲の少ない人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

405 強くあるいは弱い生きものに対して暴力を加えることなく、殺さずまた殺させることのない人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

406 敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに、執著する者どもの間にあさて執著しない人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

407 芥子粒が錐(キリ)の尖端から落ちたように、愛著と憎悪と高ぶりと隠し立てとが脱落した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

408 粗野ならず、ことがらをはっきりと伝える真実のことばを発し、ことばによって何人の感情をも害することのない人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

(´・(ェ)・`)つ

398
紐(怒り)と革紐(渇愛)と綱(六十二邪見)を
手綱(煩悩)と共に切断し
門の鍵(無明)を開け、悟った人彼を私はバラモンと呼ぶ

だ、そうであります。

六十二邪見とは、長部経典第一「梵網経」にある「我」と「世界」に関する六十二の哲学的見解だそうであります。

401
欲望の対象になるものが目の前にあっても、それを欲しいというような欲望が心に少しも現われない、とどまらないことのたとえ
だそうであります。

780名無しを整える。2017/09/09(土) 18:43:51.28ID:oeypra87
真理のことば(ダンマパダ)
第二六章 バラモン

409 この世において、長かろうと短かろうと、微細であろうとも粗大であろうとも、浄かろうとも不浄であろうとも、すべて与えられていない物を取らない人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

410 現世を望まず、来世をも望まず、欲求がなくて、とらわれの無い人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

411 こだわりあることなく、さとりおわって、疑惑なく、不死の底に達した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

412 この世の禍福いずれにも執著することなく、憂いなく、汚れなく、清らかな人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

413 曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、歓楽の生活の尽きた人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

414 この障害・険道・輪廻(サマヨイ)・迷妄を超えて、渡りおわって彼岸に達し、瞑想し、興奮することなく、疑惑なく、執著することなくて、心安らかな人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

415 この世の欲望を断ち切り、出家して遍歴し、欲望の生活の尽きた人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

416 この世の愛執を断ち切り、出家して遍歴し、愛執の生存の尽きた人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

417 人間の絆を捨て、天界の絆を越え、すべての絆をはなれた人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

418 <快楽>と<不快>とを捨て、清らかに涼しく、とらわれることなく、全世界にうち勝った英雄、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

419 生きとし生ける者の生死をすべて知り、執著なく、よく行きし人、覚った人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

420 神々も天の伎楽神(ガンダルヴァ)たちも人間もその行方を知り得ない人、煩悩の汚れを滅ぼしつくした真人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

421 前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、無一物で、何ものをも執著して取りおさえることの無い人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

422 牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者・欲望の無い人・沐浴者・覚った人(ブッダ)、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

(´・(ェ)・`)つ
次回からスッタニパータの講読ゼミのはじまりであります。

自主ゼミバックナンバー
1)「潜在意識、マーフィーの法則」>>23
2)「マハムドラ-の詩」>>305
3) 「信心銘 」>>389
4)「真理のことば(ダンマパダ)」>>562

781鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/09(土) 21:54:07.20ID:jTIVStgj
>>777 そうじゃ、厭離するのはそれだけでよいのじゃ。
 そしてブラフマンにも至るのじゃ。 
 バラモンもブラフマンの徒であり、ブラフマンに至るものなのじゃ。

782名無しを整える。2017/09/10(日) 12:48:10.52ID:d7fyQq74
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章1、蛇

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

4 激流が弱々しい葦のの橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

8 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり越えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

10 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

11 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

12 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

13 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

14 悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

15 この世に還り来る縁となる<煩悩から生ずるもの>をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

16 ひとを生存に縛りつける原因となる<妄執から生ずるもの>をいささかももたない修行者はこの世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

17 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を越え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

(´・(ェ)・`)つ

783名無しを整える。2017/09/10(日) 12:55:37.79ID:d7fyQq74
>>782
(´・(ェ)・`)つおまけ
ネットでひろった解説メモ
1。 三つの種類の感覚
快の感覚→欲の感情
不快な感覚→怒りの感情
快でも不快でもない感覚→無関心か迷いの感情

怒りは単に、感覚で不快に感じただけのことで起きる。正義の怒りなどない。
なのだそうであります。

2。欲の根= 生存欲は生命の本能 生命である限り欲はなくすことはできない

無常、苦、無我であることを知り尽くし、生きていることに執着がなくす。

4。3種類の慢
1.増上慢 : 自分が他人より上だと考える。慢心。優越感。
2.同等慢 : 自分が他人と同等と考える。これで安心する
3.卑下慢 : 自分が他人より劣っていると考える。劣等感。

「私は存在する」という実感から、自分を基準にして他者と比べるは心のはたらき。

7。想念とは、
@欲の思い、A怒りの思い、B加害の思い、C親族への思い、D国への思い、E不死の思い、F他人への愛情に関する思い、G利得・尊敬・名声を得たい思い、H軽蔑されないための思い。

9。一切のものは虚妄
聖徳太子の「世間虚仮」(コケ)=本来は真実でないこと。

14、15。潜在煩悩を終わらす方法が「中部経典第18蜜丸経」
7つの潜在煩悩
@カーマラーガ(愛欲)、Aパティガ(怒り)、Bディッティ(見解)、Cヴィチキッチャー(疑)、Dマーナ(慢)、Eバワラーガ(生存欲)、Fアヴィジャー(無明)。

17。五蓋とは五つの〔解脱の〕妨害
:貪り・怒り・心の沈滞[おちこみ]と眠気・心の高揚[たかぶり]と悔恨・疑惑の思い)禅定を妨げる煩悩

784鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/10(日) 21:48:28.38ID:C+YIzhAM
善いことじゃ。
全て捨てて進むとよいのじゃ。

785名無しを整える。2017/09/11(月) 21:16:12.03ID:eu2ZBQqA
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章2,ダニヤ

18 牛飼いダニヤがいった、
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは(妻子と)ともに住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

19 師は答えた、
「わたしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、(欲情の)火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

20 牛飼いダニヤがいった、
「蚊も虻もいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降ってきても、かれらは堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

21 師は答えた、
「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

22 牛飼いダニヤがいった、
「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

23 師は答えた、
「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

24 牛飼いダニヤがいった、
「私は自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。かれらにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

25 師は答えた、
「わたしは何人の傭い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要はない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

26 牛飼いダニヤがいった、
「未だ馴らされていない牛もいるし、乳を飲む仔牛もいる。孕んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牝牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

27 師は答えた、
「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

28 牛飼いダニヤがいった、
「牛を繋ぐ杭は、しっかり打ち込まれていて揺るがない。ムンジャ草でつくった新しい縄はよくなわれている。仔牛もこれを断つことができないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

29 師は答えた、
「牡牛のように結縛を断ち、臭い臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

30 忽ちに大雲が現われて、雨を降らし、低地と丘とをみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは次のことを語った。

31 「われらは尊き師にお目にかかりました、われらの得たところは実に大きいのです。眼ある方よ。われらはあなたに帰依します。あなたはわれわれの師となってください。大いなる聖者よ。

32 妻もわたしもともに従順であります。幸せな人(ブッタ)のもとで清らかな修行を行いましょう。生死の彼岸に達して、苦しみを滅しましょう。」

33 悪魔パービマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)する元のものは喜びである。執著する元のない人は、実に喜ぶことがない。」

34 師は答えた、
子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、憂うることがない。」

(´・(ェ)・`)つ

786名無しを整える。2017/09/12(火) 07:58:35.60ID:mUAPqo2s
>>785
29は、
悩み苦しみの原因である財産(牛)への執着を断ち切る。
輪廻して、再び生まれ変わることを拒否。もっと生きたいという本能を拒否。
苦しみの原因である渇愛の克服。
だそうであります。
(´・(ェ)・`)つ

787名無しを整える。2017/09/12(火) 19:09:23.14ID:mUAPqo2s
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章3、犀(さい)の角

35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

43 出家者でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。

44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。

45 もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

46 しかしもし汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

47 われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分より勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

48 金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

49 このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

50 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

51 これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

52 寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、──これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

(´・(ェ)・`)つ

788鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/12(火) 22:02:40.44ID:hWMUFmJp
そうじゃ、人は財産が在る故に却って悩むのじゃ。
財産がもっと増えればよいとか、減ったらどうしようとか思うからのう。
何もなければ悩みも無いのじゃ。
悩み無く犀の角のように歩むのじゃ。

789名無しを整える。2017/09/13(水) 18:35:26.57ID:l4j4y88u
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章3、犀(さい)の角

53 肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

54 集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔<ブッダ>のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

55 相争う哲学的見解を越え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

56 貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

57 義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

58 学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。

59 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

60 妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。

61 「これは執著である。ここは楽しみは少し、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

62 水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

63 俯して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。

64 葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

(´・(ェ)・`)つ

790名無しを整える。2017/09/13(水) 21:07:24.15ID:l4j4y88u
>>789

61 は、
欲望は、魚にとってのエサに見せかけた釣り針である。人間は、欲望にだまされる。そこに幸福や楽しみがあるように見える。

生命にとって欲望は、苦しみから逃れようとして現れる。だから、欲望が苦の原因であることに気が付けない。

だ、そうであります。
(´・(ェ)・`)つ

791鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/13(水) 22:39:01.69ID:lYfmjw7J
そのようなものじゃ。
苦の原因となるのは執着であるがのう。
生きるために欲するのはよいのじゃ。
執着無く生きるがよいのじゃ。

792名無しを整える。2017/09/14(木) 18:18:05.72ID:vJVFYYq4
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章3、犀(さい)の角

65 諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

66 こころの五つの覆いを断ち切って、すべてに付随して起こる悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、なにものかにかたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。

67 以前に経験した楽しみと苦しみを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

68 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。

69 独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

70 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

71 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

72 歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

73 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

74 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

75 今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

(´・(ェ)・`)つ

793名無しを整える。2017/09/14(木) 18:45:11.59ID:vJVFYYq4
>>792
66 「五つの覆い」の二通りの解釈。
(心の汚れの断ち切り方の違い)

1)伝統的理解
「五蓋:欲の思い・加害の思い・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い」
これらが心にあると初禅(第一禅定)になることを妨げる。
初禅に入れば、五蓋と言われる心の汚れが除かれる。
ただし、五蓋がなくなっているのは禅定にいる時だけ。

2)心の五つの障碍を、五感からの汚れと見る。心の汚れはどのように現れるかを観察すると、五感が何かを感じたとき、心が汚れる。

だから、心を汚さないようにするために、五感からの刺激を、心の汚れの原因にしないこと。それは感覚を守ると言う。
感覚を、自己から切り離して、客観的に観察することで実現できる。ただ感覚があると観察できたとき、心は汚れない。

だそうであります。
(´・(ェ)・`)つ

794鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/14(木) 21:30:20.22ID:/DPxTPMP
五感でよいのじゃ。
それで次の随煩悩とも繋がるのじゃ。
要するに感覚を制することなのじゃ。
それによって瞑想も深くなり、執着も無くすことができるのじゃ。

795名無しを整える。2017/09/14(木) 22:37:56.93ID:vJVFYYq4
>>794
おーぉ!
そうでありますね、その方が、前後の繋がりがよく、無理やり説明してる感がなくてすっきりするでありますね。

あと、>>786 に書いた29の解説でありますが、

>財産(牛)への執着を断ち切る。
ことと同じように、
>もっと生きたいという本能を拒否。
苦しみの原因である渇愛の克服

と言う説明に違和感を感じるのでありますが、違和感の理由は説明できないであります。
(´・(ェ)・`)つ

796名無しを整える。2017/09/15(金) 18:23:45.93ID:pHouj5Th
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章4、田を耕すバーラドブァージャ

 わたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はマガダ国の南山にある「一つの茅」というバラモン村におられた。そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結びつけた。

 そのとき師(ブッダ)は朝早く内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャが仕事をしているところへ赴かれた。ところでそのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは食物を配給していた。

 そこで師は食物を配給しているところに近づいて、傍らに立たれた。田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師が食を受けるために立っているのを見た。そこで師に告げていった、

「道の人よ。わたしは耕して種を播く。耕して種を播いたあとで食う。あなたもまた耕せ、また種を播け。耕して種を播いたあとで食え。」と

(師は答えた)、「バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う」と。

 (バラモンがいった)、「しかしわれらは、ゴータマさん(ブッダ)の軛も鋤も鋤先も突棒も牛も見ない。それなのにゴータマさんは『バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う。』という」と。
そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは詩を以て師に呼びかけた。

76 「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、われらはあなたが耕作するのを見たことがない。おたずねします。──あなたが耕作するということを、われわれが了解し得るように話してください。」

77 (師は答えた)「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。知慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)きである。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。

78 身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和が私にとって(牛の)軛を離すことである。

79 努力がわが(軛をかけた牛)であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば憂えることがない。

80 この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。」

(´・(ェ)・`)つ

797名無しを整える。2017/09/15(金) 22:11:50.94ID:pHouj5Th
>>795
くまが、>>786の説明に感じる違和感は、
生存本能、生存欲に対する執着を、財産に対する執着と同じようにとらえることへの違和感であります。

欲と言う観点から見て、それを拒否するとか説明するよりも、、その欲を感じる主体の有無と言う観点からアプローチする方が取り組みやすく思うのであります。

(´・(ェ)・`)つ

798名無しを整える。2017/09/16(土) 11:40:29.82ID:e5HZoekV
>>796
農業によるたとえ話
種=信・・・信仰というよりも、「理解力」その理解力を確信にまで、すなわち悟りまで育てようというたとえ話だそうであります。

種を育て、育むものは雨。
雨=苦行・・・修行
修行が理解力を育てる。具体的に言えば八正道の実践が理解力を育てる

種をまく畑はよく耕されておかなければ、種は育たない。
理解力は心に育つ。
心が煩悩で荒れていれば、理解力は育たない。
この煩悩をなくすものは智慧。
心を耕す道具は智慧。
軛(くびき)と鋤(すき)が智慧。

鋤棒=轅(ナガエ)は、牛がまっすぐに歩くようにするもの。
道徳を守るために必要なことは慚(はじること)を知る心。轅は恥に譬えられた。恥を知る心で正しい道をまっすぐ歩ける。
軛と犂と轅を連動して使用するため、それらを結ぶ縄が必要。
その縄を心=意に譬えた。
智慧と恥とを結びつけるのが意。
意は心の感覚器官。
心の情報は意を通じて伝達される。

気を落ちつけること=念(気づき)を鋤と突棒に譬えた。
畑の石や障害物を見極めるのは鋤と突棒。心の煩悩を見極めるのは念(気づき)。

(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。解説を読んでみると、なかなかどうしてよくできたたとえ話であります。

799名無しを整える。2017/09/16(土) 12:24:58.15ID:e5HZoekV
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章4、田を耕すバーラドブァージャ

81 詩を唱えて[報酬として]得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、このことは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。詩を唱えて得たものを、目ざめた人々(諸のブッダ)は斥ける。
バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々の)生活法なのである。

82 全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪い行いを消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。

「では、ゴータマ(ブッダ)さま、この乳粥をわたしは誰にあげましょうか?」

「バラモンよ。実に神々・悪魔・梵天とともなる世界において、神々・人間・道の人・バラモンを含む生きものの中で、全き人(如来)とかれの弟子とを除いては、この乳粥を食べてすっかり消化し得る人を見ない。
だから、バラモンよ、その乳粥を青草の少いところに棄てよ、或いは生物のいない水の中に沈めよ。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャはその乳粥を生物のいない水の中にうずめた。

さてその乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙りを立てた。
譬えば終日日に曝されて熱せられた鋤先を水の中に入れると、チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出すように、その乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出した。

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは恐れおののいて、身の毛がよだち、師(ブッダ)のもとに近づいた。そうして師の両足に頭を伏せて、礼拝してから、師にいった、

─「すばらしいことです、ゴータマさま。すばらしいことです、ゴータマさま。
譬えば倒れた者を起こすように、覆われたものを聞くように、方向に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで真理を明らかにされました。
故にわたくしはここにゴータマさまに帰依します。また真理と修行僧のつどいに帰依します。わたしはゴータマさまのもとで出家し、完全な戒律(具足戒)をうけましょう。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このバラモン・バーラドヴァーシャさんは独りで他の人々から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、まもなく、無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが──
を現世においてみずからさとり、証、具現して、日を送った。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえたた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
とさとった。そうしてバーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。

(´・(ェ)・`)つ

800鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/16(土) 21:50:34.19ID:cZDN0ihw
生存の欲はなくさなくてよいのじゃ。
その他修業の邪魔にならない欲もなくさなくてよいのじゃ。
修業の邪魔になる貪欲だけを無くすべきなのじゃ。
それが煩悩なのじゃ。
修業の邪魔にならない欲は煩悩ではないのじゃ。 

801名無しを整える。2017/09/16(土) 22:39:20.14ID:e5HZoekV
>>800
鬼和尚ありがとうであります(´・(ェ)・`)つ

で、ありますよね。
生存本能を拒否するとかいい放つのは、
無常なんだから諦めろと言ってるだけでありまして、
修行方法の説明として、不適切でありましょう。
そもそもそんなことは、スッタニパータには書いてないであります。

802名無しを整える。2017/09/17(日) 10:27:26.99ID:Hxd+y9dW
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章5、チュンダ

83 鍛冶工のチュンダがいった、「偉大な智慧ある聖者・目ざめた人・真理の主・妄執を離れた人・人類の最上者・優れた御者に、わたしはおたずねします。──世間にはどれだけの修行者がいますか? どうぞお説きください。」

84 師(ブッダ)は答えた、「チュンダよ。四種の修行者があり、第五の者はありません。面と向かって問われたのだから、それらをあなたに明かしましょう。
──<道による勝者>と<道を説く者>と<道において生活する者>と及び<道を汚す者>とです。」

85 鍛冶工チュンダはいった、「目ざめた人々は誰を<道による勝者>と呼ばれるのですか? また<道を習い覚える人>はどうして無比なのですか? 
またおたずねしますが、<道によって生きる>ということを説いてください。また<道を汚す者>をわたくしに説き明かしてください。」

86 「疑いを越え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、──そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。

87 この世で最高のものを最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を修行者たちのうちで第二の<道を説く者>と呼ぶ

88 みごとに説かれた<理法にかなったことば>である<道>に生き、みずから制し、落ち着いて気をつけていて、とがのないことばを奉じている人を、修行者たちのうちで第三の<道によって生きる者>と呼ぶ。

89 善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者、──かれは<道を汚す者>である。

90 (彼らの特長を)聞いて、明らかに見抜いて知った在家の立派な信徒は、『かれら(四種の修行者)はすべてこのとおりである』と知って、かれらを洞察し、このように見ても、その信徒の信仰はなくならない。
かれはどうして、汚れた者と汚れていない者と、清らかな者と清らかでない者とを同一視してよいであろうか。」

第一 蛇の章6、破  滅

 わたしが聞いたところによると、──あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、<孤独なる人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ、ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。近づいてから師に敬礼して傍らに立った。そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。

91 「われらは、<破滅する人>のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか? 師にそれを聞こうとしてわれわれはここに来たのですが、──。」

92 (師は答えた)、「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。」

93 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第一の破滅です。先生! 第二のものを説いてください。破滅への門はなんですか?」

94 「悪い人々を愛し、善き人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破壊への門である。」

95 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第二の破滅です。先生! 第三のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

96 睡眠の癖あり、集会の癖あり、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽいので名だたる人がいる、──これは破滅への門である。」

97 「よく分かりました。おっしゃるとおりです。これが第三の破滅です。先生! 第四のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

98 「みずからは豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、──これは破滅への門である。」

99 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第四の破滅です。先生! 第五のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

100 「バラモンまたは<道の人>または他の<もの乞う人>を、嘘をついてだますならば、これは破滅の門である。」

(´・(ェ)・`)つ

803名無しを整える。2017/09/17(日) 18:49:51.72ID:Hxd+y9dW
>>802
88の 第三の道を歩む方法
三十七菩提分法
1.) 四念処
2.) 四正勤
3.) 四如意足
4.) 五根
5.) 五力
6.) 七覚支
7.) 八支道(八正道)
以上、4+4+4+5+5+7+8=37

1.)四念処とは、瞑想における四つの観察対象。(大念処経及び念処経)
身(身体)、受(感覚)、心(行為の原因)、法(法則)。

1.身念処:自分の身体と自分の身体の動きを観察する。

2.受念処:感覚の観察する。
目、耳、鼻、舌、身、の五感官から、色(形)、声(音)、香(匂い)、味、触(身体感覚)を観察する。
その際、それぞれの感覚において、苦(不快)、楽(快)、不苦不楽(快でも不快でもない)を観察(感じる)する。
苦から心に怒り現れ、楽からは心に欲が現れ、不苦不楽からは心に無知が現れる。

3.心念処:心を観察する。
心に欲、怒り、無知、憂い、があるか、清らかな心か、落ち着いた心か、解放された心かなどを観察。

4.法念処:法(真理、法則)を観察する。これは身、受、心の観察において観察する。
特別に法を見るということではない。
五蓋、五蘊、十二処、七覚支、四聖諦の観察。
無常、苦、無我を観察し、体得する。

(´・(ェ)・`)つ(つづく)

804名無しを整える。2017/09/17(日) 19:44:10.61ID:Hxd+y9dW
>>803つづき

2.)四正勤(八正道の正精進同じ)
1. 律儀勤 :注意する努力、「防ぐ努力」。まだ生じない不善を抑えて起こさない努力。
2. 断勤 :捨てる、または「なくす努力」。生じた悪・不善を捨てる努力。
3. 修勤 :増進、または「生じさせる努力」。また生じてない善を生じさせる努力。
4. 随護勤 :「維持する努力」。既に生じている善を根付かせ、さらに完全になるまで増進する努力。

3.)四如意足は目的を達成するための四つの要素。目的とは禅定や悟りを指す。
1. 欲如意足: 満足。常にそれを行うことを欲求し、さらに良い結果を得たいと望むこと。
2.精進如意足: 精進。そのことを努力し、勤勉、忍耐でやり遂げること。
3.心如意足: 意図する思考。考えをそれに集中して心をこめて、心身共にその行為に捧げること。
4.思惟如意足: 熟考または試行。智慧を用いて行ったことを真剣に調べ、原因を探り、欠点を点検して、計画し、改善方法を求めるなど。

4.)5.)五根と五力の項目は同じ
1. 信 :理解
2. 精進 :努力
3. 念 :気付き
4. 定 :集中
5. 慧 :智慧
これらは修行を進ませ、涅槃に到るための能力とエネルギー。そのうちの能力を五根と言い、エネルギーを五力と言う。五つの項目はバランスよく養成することが必要。
具体的には、信が強すぎると慧の養成の妨げになり、精進が強すぎると定の養成の妨げになる。念のみは全体の牽引者の役割があり、念の養成は他のものの妨げにならない。

6.)七覚支、段階的に習得される悟りの要素。
1番目念覚支に挑戦すれば、自動的に二番、三番・・・とすすむ。
1.念覚支:身体、感覚、心、法則に気付き、観察すること。
2.択法覚支:念覚支の実践で、さらに細かく観察し、現象の変化を発見すること。
3.精進覚支: 念覚支、 択法覚支の修行を繰り返し実践・努力すること。
4.喜覚支:念覚支、 択法覚支、 精進覚支の修行の努力の後に、喜びが生まれる。それは欲や怒りがなくなる時に生まれる精神的な喜びである。
5.軽安覚支:心身が軽やかになり、リラックスしてくる。 喜覚支は少し興奮している状態であるが、何度か 喜覚支を経験すると、落ち着いて 軽安覚支を経験すると言われる。この状態になれば楽に 念覚支、 択法覚支が実践できる。
6.定覚支: 軽安覚支を経験した人には、安定した集中力が現れる。そのため、現象の実相が洞察できるようになる。ここまでの過程で、人格も変わる、見方も変わる。
7.捨覚支: 定覚支が確立すると、善いことがあっても、悪いことがあっても動じない、感情がない状態、何事も公平で平等に見ることができる心になる。

これらの七つの要素がそろった時に悟りを達成します。

7.)八正道
1.正見(正しい見解)、2.正思惟(正しい考え方)、3.正語(正しい話し方)、4.正業(正しいい)、5.正命(正しい職業)、6.正精進(正しい努力)、7.正念(正しい気づき)、8.正定(正しい集中)。

(´・(ェ)・`)つ
5.)七覚支、の7.捨覚支、
これが不動心でありましょうかね。

805鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/17(日) 22:02:31.12ID:nDddanBx
>>801 そうじゃ、煩悩とは何かわかっていないのじゃ。
 三毒が煩悩なのじゃ。
 煩悩となる貪欲を滅して進むがよいのじゃ。

806名無しを整える。2017/09/17(日) 22:34:48.59ID:Hxd+y9dW
>>805
(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚ありがとうであります。
三毒=克服すべき根本的な三つの煩悩
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)

でありますね。

807名無しを整える。2017/09/18(月) 05:41:08.73ID:KEb0Tp1Z
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章6、破  滅

101 「よくわかりました。おっしゃるとうりです。これが第五の破滅です。先生! 第六のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

102 「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしいみのを食べるならば、これは破滅への門である。」

103 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第六の破滅です。先生! 第七のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

104 「血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも已が親戚を軽蔑する人がいる、──これは破滅への門である。」

105 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第七の破滅です。先生! 第八のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

106 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、──これは破滅への門である。」

107 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第八の破滅です。先生! 第九のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

108 「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、──これは破滅への門である。」

109 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第九の破滅です。先生! 第十のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

110 「青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて、かの女について嫉妬から夜も眠れない、──これは破滅への門である。」

111 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十の破滅です。先生! 第十一のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

112 「酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託すならば、これは破滅への門である。」

113 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十一の破滅です。先生! 第十二のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

114 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が、財力が少いのに欲望が大きくて、この世で王位を獲ようと欲するならば、
これは破滅への門である。

115 世の中にはこのような破滅のあることを考察して
賢者・すぐれた人は真理を見て、
幸せな世界を体験する。」

(´・(ェ)・`)つ

808鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/18(月) 21:27:30.13ID:6bDwcUNe
>>806 そうじゃ、三毒を滅して進むのじゃ。
  
 そうすれば破滅は無いのじゃ。
 

809名無しを整える。2017/09/19(火) 19:01:13.86ID:Goo5Z0qC
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章7、賤しい人

 わたしが聞いたところによると、──あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。そのとき師は朝のうちに内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。

 そのとき火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャの住居には、聖火がともされ、供物がそなえられていた。さて師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、かれの住居に近づいた。火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは師が遠くから来るのを見たる

 そこで、師にいった、「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの<道の人>よ、そこにおれ。賤しい奴よ、そこにおれ」と。

 そう言われたので、師は、火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャに言った、「バラモンよ。あなたはいったい賤しい人しはなにかを知っているのですか? また賤しい人たらしめる条件を知っているのですか?」

 「ゴータマさん(ブッタ)。わたしは人を賤しい人とする条件をも知っていないのです。どうか、わたしが賤しい人を賤しい人とさせる条件わ知り得るように、ゴータマさんはわたくしにその定めを説いてください。」

「バラモンよ、ではお聞きなさい。よく注意なさい。わたくしは説きましょう。」

 「どうぞ、お説きください」、と火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは師に答えた。

師は説いていった、

116 「怒りやすく恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、──かれを賤しい人であると知れ。

117 一度生まれたものを(胎生)でも、二度生まれるもの(卵生)でも、この世で生きものを害し、生きものに対するあわれみのない人、──かれを賤しい人であると知れ。

118 村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、──かれを賤しい人であると知れ。

119 村にあっても、林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗み心をもって取る人、──かれを賤しい人であると知れ。

(´・(ェ)・`)つ

810鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/19(火) 21:52:39.53ID:m9AiM6bA
そうじゃ、生まれによって賎しいのではないのじゃ。
 行いによって賎しい者となるのじゃ。
 行いによって貴い者にもなるのじゃ。
 

811名無しを整える。2017/09/19(火) 22:11:55.84ID:Goo5Z0qC
>>810
(´-(ェ)-`)つ貴いくまになるか、賎いくまになるかは、くましだいでりますね。

812名無しを整える。2017/09/20(水) 18:21:13.98ID:fm9MEsJs
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章7、賤しい人

120 実際に負債ががあるのに、返済するように督促されると、『あなたからの負債はない』といって言い逃れる人、──かれを賤しい人であると知れ。

121 実に僅かの物を欲しくて路行く人を殺害して、僅かの物を奪い取る人。──かれを賤しい人であると知れ。

122 証人として尋ねられたとき、自分のために、他人のため、また財のために、偽りを語る人、──かれを賤しい人であると知れ。

123 或いは暴力を用い、或いは相愛して、親族または友人の妻と交わる人、──かれを賤しい人であると知れ。

124 己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、──かれを賤しい人であると知れ。

125 母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばで罵る人、──かれを賤しい人であると知れ。

126 相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、──かれを賤しい人であると知れ。

127 悪事を行なっておきながら、『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人、──かれを賤しい人であると知れ。

128 他人の家に行っては美食をもてなされながら、客として来た時には、返礼としてもてなさない人、──かれを賤しい人であると知れ。

129 バラモンまたは<道の人>、または他の<もの乞う人>を嘘をついてだます人、──かれを賤しい人であると知れ。

130 食事のときが来たのに、バラモンまたは<道の人>をことばて罵り食を与えない人、──かれを賤しい人であると知れ。

131 この世に迷妄に覆われ、わずかの物が欲しくて、事実でないことを語る人──かれを賤しい人と知れ。

132 自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、──かれを賤しい人であると知れ。

133 人を悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、──かれを賤しい人であると知れ。

(´・(ェ)・`)つ

813鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/20(水) 22:27:28.43ID:IC3LN+wM
そうじゃ、行いによって賤しいものとなり、貴いものともなるのじゃ。
善事を行えば貴いものとなり、福楽も付き従うのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 

814名無しを整える。2017/09/21(木) 19:54:48.60ID:Yx6GuKEl
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章7、賤しい人

134 目ざめた人(ブッダ)をそしり、或いは出家・在家のその弟子(仏弟子)をそしる人、──かれを賤しい人であると知れ。

135 実際は尊敬さるべき人ではないのに尊敬さるべき人(聖者)であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である人、
──かれこそ実に最下の賤しい人である。
わたしがそなたたちに説き示したこれらの人々は、実に<賤しい人>と呼ばれる。

136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。


このように説かれたときに、火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは、師にいった、
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者をおこすように、覆われたものを開くように方角に迷った者に道を示すように、
あるいは『眼ある人々は色を見るであろう』といって暗夜に灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで法を明らかにされました。
ですから、わたしは、ゴータマさまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまは、わたくしを在俗信者として受けいれてください。今日以降命の続く限り帰依します。」

(´・(ェ)・`)つ

815鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2017/09/21(木) 21:19:18.51ID:G4JV9MBo
素晴らしいことじゃ。
この世の真理がお釈迦様の言葉で明らかになったのじゃ。
誰も生まれによって賎しくなり、苦に陥るのではないのじゃ。
悪い行いによって賎しくなり、苦に陥ることにもなるのじゃ。
善事を行えば福楽も付き従うのじゃ。

816名無しを整える。2017/09/21(木) 22:46:32.98ID:Yx6GuKEl
>>815
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)つ

お釈迦さんは、因習差別が支配する25百年前のインドで、無常、無我を説いただけでなく、縁起や因果応報も真理として説いたからこそ偉大なのでありますね。

善事を行えば福楽も付き従うのでありますね。

新着レスの表示
レスを投稿する